高橋晴美の音楽ネットワーク ニュースレター      

〜日韓交流おまつり出演のきっかけは、一人の方の熱い思いから〜


 今年の5月に韓国から1本の電話が入りました。伊豫部節子様とおっしゃるその方は、10年前にご主人の転勤で韓国に移られ、5年前から日韓の交流のために芸術を通して『日韓交流おまつり』を始められました。お電話の向こうで熱く語られる伊豫部さんのお話によると、現在カリフォルニアで、高橋晴美作品を広めてくださっている上田留美子さん( 以前ニュースで紹介。啓明学園ママさんコーラスの指揮指導者で、合唱祭で『海よりも空よりも』で特別賞をいただかれました。) を介して「ひとつ」を知る事となったそうです。

以下、電話直後にいただいた伊豫部さんからのメールです。



昨年留美子さんから高橋さんの曲を紹介して頂き、その後東京のHarmony'84の田中さんにお願いしましてCDと楽譜を手に入れましたが、それを聞いた途端に全身が震える思いでした。
私が韓国に来た98年頃はまだ公の舞台では日本語で歌う事が出来ませんでした。
隣の国なのになぜ?と言う思いで初めて「近くて遠い国」を実感しました。それでもいつかは歌える時がやって来るはずと念願し、歌える準備だけはしていた。まもなく文化開放がなされそれではと先頭を切って始めたのが「日韓交流チャリティークリスマスコンサート」でした。
いつの間にか時が流れ今年で10周年を迎えます。その記念にどうしても「ひとつ」を歌いたいと言う気持ちに駆られ今年の初め企画委員会で混声合唱居団のメンバーには相談をしていました。
高橋さんにコンタクトをさせて頂き必ずや10周年に間に合わせたいと思っていた矢先に、今度は日韓交流おまつりが行われるソウル広場のイメージが浮かびあがりました。 以前から歌で交流をしたいと思いながらも賛同が得られず、歌で交流する事は半分諦めていました。しかし今年を逃したら歌での交流は難しいので今が最高のチャンスと考えて「ひとつ」を歌う企画を提案しました。
あくまでも初めての試みですから身の丈の範囲内でやることを目標に、まずは日本人学校の生徒さん達に呼びかけ、ソウルジャパンクラブの混声合唱団が中心となり、又韓国の団体にもお声がけをすれば日韓交流も出来ると期待しました。いつかはソウル市庁広場が日韓のお祭り人達の愛の歌声でソウル市内に響き渡るそんな日が来る事を願っています。
日本人が帰国してもお祭りがくれば又ソウルへ歌いに行きたい、、、そんな交流が出来たら最高です。

今年の12月に韓国を引き上げて10年ぶりに日本に帰国されるということで、その前にどうしても韓国に「ひとつ」の種を蒔きたい、と熱く語られる伊豫部さんに、私は二つ返事でお応えしていました。私にとって「ひとつ」を韓国で演奏する事は大変意義深い事だったのです。何故なら、「ひとつ」は1995年阪神大震災のチャリティーコンサートの準備をしている時、韓国の友人との友情から生まれた曲だったからです。


1995年2月にパリで行われた「現代ポップスと高橋晴美の世界」に出演するはずであった在日韓国人(当時北朝鮮籍)のシンガー李京順さんだけがいつまで待ってもビザが下りず、メンバーは無言の出発となりました。「高橋晴美の世界」は、シンガー無しで、全曲フルート演奏にアレンジし直してコンサートを行う事になりました。その時に学生最後の春休みを利用して一緒にパリにスタッフとして来てくれたのが、韓国籍のキム・チャンスでした。彼は夜中にコンビニでアルバイトして学費を稼ぎながら専門学校でコンピューター作曲を学んでいました。偶然にも二つの韓国がそこに存在していたのです。パリでのコンサートは大成功に終わり、翌年のコンサートが決まりました。


日本に帰り、チャリティーコンサートの準備をしている時の事、フルートの鈴木康子さんとドラムの八木秀樹さん、そしてパリに行くことが叶わなかった李さんもチャリティーコンサートのリハーサルのために遠路足を運んでくれました。当時始めたばかりのシンセサイザーがうまく扱えず困り果てていると、キム・チャンスが自転車で駆けつけてくれました。夜中の3:00頃まで、皆、夢中になって心熱く音楽で語り合いました。
そして皆が家に帰った後、静かな部屋に一人残った私は、言葉に言い尽くせぬほどの感謝の思いに満ち溢れていました。そこには、国境も争いもない、ただ温かな『愛』だけがありました。


「空と海がとけてひとつ あなたの心にとけて生きる」詩と曲が同時に口を付いて出てきました。「空に星がとけてひとつ あなたの人生にとけて生きる」「あなたの部屋に野の花ひとつ いつも安らぎを届けてあげたい」この「野の花」は、この日チャンスから受けた真心そのものでした。日常の小さな思いやりは野の花であり、「あなたのために何かひとつ 今日も新しく生まれ変わりたい」その確信は力強さになり、更にこの日の感動は「人と人がとけてひとつ」というフレーズになり、そしてキム・チャンス、リ・ギョンスンの愛は「国と国がとけてひとつ」というフレーズになってゆきました。
それまでの自分の人生の苦しかった事や悲しかった事、その意味が一瞬にして解けた瞬間でした。どんなに辛い時も『愛』を選択してきて間違いが無かったことをこれほど確信した時はありませんでした。1時間たらずで書き終えた私は、丁度夜明けが近づく東の空を眺めて溢れ出る涙を抑えることが出来ませんでした。


こうして「ひとつ」が誕生して14年が経ちました。
14年目にして「ひとつ」を韓国で演奏させていただく事は、私にとって本当に意義深い事でした。しかも、いつもはピアニストとして参加する舞台に、今回は指揮者で参加する事となったのです。始めはその意味が良くわかっていませんでした。

しかし、韓国で実際に指揮をしてみてその意味が初めて解りました。韓国人と日本人の笑顔を一身に受けて指揮をさせていただくことの喜びは、一言で表せないようなものでした。それこそ「国と国がとけてひとつ」なのです。


9月20日、カーテンを開けると一面の青空でした。9:30にソウル広場に到着。10:00からリハーサルをし、13:00から『日韓交流おまつり』はスタートしました。40団体総勢800人が出演するおまつりですが、大変に光栄な事に『高橋晴美の世界』は15:30にVIPが着席した後の、開幕公式行事『つなげよう未来へ!』開幕オープニング公演として位置づけられておりました。そして、嬉しい事にチャングムの王妃役としても有名なパク・チョンスクさんから高橋晴美の紹介を受けました。パクさんの手招きを受けて指揮台の横に立ち、広場の皆さんに「アンニョンハセヨ!」と呼びかけると、一斉に温かい拍手が起こりました。同時通訳で「ひとつ」の曲解説に続き「Cantare〜歌よ大地に響け〜」の解説をし、メッセージを述べた後演奏に入りました。


小口さんにアイコンタクトを送り静かに手を振り下ろします。陽の光に照らされて、風が渡ってゆくソウル広場のステージに、バイオリンのDの音が流れます。「空と海がとけてひとつ あなたの心にとけて生きる」喜びに胸がはちきれそうでした。その様子を、広場でキム・チャンスが写真を撮り、録画をしてくれていました。このようなシチュエーションを誰が想像できたでしょうか・・・。天の計らいとしか言いようのない瞬間でした。静かに曲が終わるとブラボーの掛け声。続けて八木さんのドラムから「Cantare〜歌よ大地に響け〜」に入りました。力強くエネルギーが満ちて行き、曲が終わるとアンコール!の声。 伊豫部さんのご希望に応え、ラララからもう一度、2回目の繰り返しからは、振り返って客席に向かって指揮をしました。温かい手拍子が返ってくる中、指揮をしながらソウル広場を見渡していると、空の向こうまで愛が届いてゆくような気持ちになりました。ソウル広場の客席とステージで愛が交流するひと時、あの光景は生涯忘れられない一齣となりました。

〜実行委員長より〜


本当にお疲れ様でした。 終演後から今日まで、潮が満ちるように反響が大きくなって来ています。
皆さんが口々に、あの曲をもう一度聴きたい、と仰っていますよ。

ひとまず、アリランTV(アジア各国向けの放送局)で取り上げられたニュースを添付致します。
合唱中心の編集で、高橋様の指揮するお姿もバッチリ映っています。



http://www.arirang.co.kr/News/News_View.asp?code=Ne2&nseq=95352

(ジャンプ先の写真下にあるカメラマークのアイコンをクリックして下さい)



伊豫部様からのお便り

 晴天の下で繰り広げられた「日韓交流おまつり」は、今年は小規模ながらも会場に沢山の家族連れを前に熱い熱気を感じながら、我々日韓合唱団と演奏者の皆様が一丸となって歌った「ひとつ」と「歌よ大地に響け」で人と人を繋げる事が出来ました。
 広場に立って聞いていた私は、頭に描いていた事がこの場で実際に行われている事に感動して胸が熱くなりました。これもひとえに高橋晴美さんの作品に出会ったが為で感謝申し上げます。
 練習に参加して口ずさんだ方は直ぐに歌に興味を示し、良い歌ですね、歌詞も素晴らしいですねと歌に対する気持ちが違ってきましたので、これならやれそうと言う強気の気持ちで望む事ができました。合唱団の皆様にも感謝感謝です。
 又日本人学校の関谷校長先生の音楽に対する積極的な考え方に同感し、今回お頼みする事が可能となったことが最も大きな力となりました。
 韓国人の合唱団の方も婦人部としての繋がりはありましたが、ボランティア活動を通して一緒にやり始めたのが「よさこいアリラン」でした。そこで心が繋がり今回の合唱にも参加頂けました。皆さんも歌に酔い素晴らしい体験が出来たと話してくれました。
 演奏者の方の出演も最後まで諦めずに努力した結果、合唱と演奏が一体化し大舞台へと繋がる事が出来ました。演奏者の皆様に心より御礼申し上げます。
 皆さんから感動したよ、、、素晴らしかったよ、、、良い歌ね、、、来年もまた歌ってね、、、韓国語で歌おうよ、、沢山の言葉が耳に入ってきました。
 そんな余韻をいつまでも残しながら今朝目を覚ましました。夢が叶った喜びに心は満足感で一杯でした。ソウルに撒いた小さなボランティアの種がこれから大きな木に育つよう、水と栄養を与えながら皆で大切に見守りたいです。
 高橋様黒田様には最後までご指導を頂き感謝申し上げます。これからもお仲間に入れて頂きご指導を頂けたらと願っていますありがとうございました。御礼まで。


伊豫部節子



たった一人の方の愛が、人と人、国と国を繋いでくれました。伊豫部節子さんの勇気ある行動、韓国の地に一粒の愛の種を蒔いてくださったことに、あらためて心より感謝申し上げたいと思います。賛同してくださいました合唱団の皆様、演奏者の皆様、ご協力いただきました関係者の皆様、本当にありがとうございました。
そして愛のリレー役をしてくださいました上田留美子さんに
心からのありがとうを申し上げます。


     


嬉しいメールが届きましたので、ご報告させていただきます。


高橋様 

直接のご返信を頂き感激です。
私はソウルに単身赴任している親父です。
先日の20日、日韓交流お祭りで、高橋様ご自身の指揮による「ひとつ」と「歌よ大地に響け」を聴き、心にしみて涙が出ました。
普段しょっちゅう会っているSJC会員の皆様、また私自身が学校運営委員として深く関わっている日本人学校の生徒や関谷校長先生が、美しく輝いていて羨ましく思われました。
実は講演の後、すぐに舞台裏に駆けつけ、関谷校長先生に「本当に素晴らしかった。
心にしみて涙が出た」と伝えたところ、校長先生も「自分も歌いながら涙が出た。同じ気持ちを共有してもらえて感激。こんな感動を分かち合える機会を子供たちにもっと作って与えたい。」とおっしゃっておりました。
私自身大学時代からバンドで歌っており、ソウルでも親父バンドで歌ったりしており、歌は飯と同じくらい大好きです。
でも「造った方が指揮をされるとこんなにも素晴らしいのか」と本当に感動いたしました。
それに「多くの人の思いが一つになる合唱」は、合唱だからこその世界ですね。
高橋様ご自身の指揮と私が知っている方々の生の歌声で、高橋様の音楽に出会えたことはとても幸運でした。
これからもご活躍をお祈りしております。


PS.  CDは次回妻が来韓する折に持って来てもらいます。      


                    清水 敬憲

 

  

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