高橋晴美の音楽ネットワーク ニュースレター   

 虫の音に、秋の深まりを感じる今日この頃ですが、皆様お元気でいらっしゃいますか。3.11から早いもので7ヶ月年が過ぎました。5月14日の東日本大震災チャリティーコンサートに続き、7月の仙台、盛岡での被災地応援コンサート、8月は文京シビック、9月は芸大芸術祭と被災地応援コンサートが続きました。お陰様で、毎回のアンケート用紙には感動感謝の言葉が綴られており、その後被災地からも「娘と涙しながら、心温まる音楽に終始感動でいっぱいでした。涙を流せること、こんなに素敵な音楽に出会えたことに幸せを感じました。もやっとしていた心が、晴れ晴れと心あらたに、勇気と決心がつきました。元気をいただきました。」とのメールが届き、ほんのひと時でも愛と癒やしと希望をお届けさせていただく事が出来たようで、お役に立たせていただけたことを本当に嬉しく思いました。この先もまだまだ続く復興への道程を想いますと、微力ながらも音楽を通して何かお役に立つ事が出来れば…と切に思います。大自然を前にして命は本当にちっぽけな存在かもしれませんが、それでも与えられた命を精一杯に誰かのために輝かせたいものです。

 8月25日から31日まで、高橋晴美の沖縄支部後援会長でもいらっしゃる藤原浩男先生のご招待を受けて、沖縄、宮古島に行ってまいりました。丁度台風11号と12号が沖縄に接近している時だったため、天気予報は一週間傘マーク!(>_<)寄りにもよって・・・とちょっぴりがっかりの出発でしたが、奇跡のように台風11号は左に12号は右に反れて、沖縄らしい青い空と青い海が広がりました。


 藤原浩男先生は宜野湾市にある、国際リゾート研究所の創立者でもあり、宮古島トライアスロンの発起人でもいらっしゃいます。

リゾート研究所の施設「フェストーネ」にはいつも「愛のピアノ」が館内に流れているというほど、高橋晴美作品を愛聴して下さっていらっしゃいます。沖縄那覇空港に到着すると、藤原先生自ら、お忙しい中私達を出迎えて下さいました。久方ぶりのフェストーネは懐かしく、お部屋にはお花が飾られており、「高橋晴美先生、お帰りなさい」と書かれたカードが添えられていました。その日は、懐かしい近くの海を見て、国際通りで琉球舞踊を見ながら食事をいたしました。

 翌日は早速宮古島へ。一昨年大変にお世話になった佐渡山政子さんとの久しぶりの再会に心が躍りました!

一昨年に続き、又佐渡山さんが車で案内してくださいました。台風の影響もあって風は強く、時折雨が降るような天候でしたが、

やはり宮古島の海は格別でした。海は美しく、砂は白く、砂浜に寄せては返す波と戯れながら、又私の大好きな貝殻拾いに夢中な時が流れました。


 夜は海鳴りの音を聞きながら、風が通り抜ける音に耳を傾けながら、学生時代のような合宿気分を味わえたことも、なかなか体験の出来ない楽しい思いでとなりました。丁度、今年の春、藤原先生から一昨年の宮古島の旅の想いでの原稿が届きましたのでご紹介させていただきます。


天使のような高橋晴美先生との出会い


 私が高橋晴美先生と初めて出会ったのは、沖縄公演の準備のため来沖された際に知人から紹介された時です。
色白で、小柄で、愛くるしく、丁寧な言葉使いが美しく天使のように印象的でした。 沖縄で開かれた「高橋晴美の愛のチャリティーコンサート」は会場がいっぱいの人々に心を揺さぶるような大きな感動を与えました。
 高橋晴美先生に花束を贈呈した中学2年生の私の孫娘は、ピアノの練習に精出すようになり、将来はピアノの先生になるか小児科の先生になるか迷い出す始末です。欲張りの私は、書斎の雰囲気づくりを高橋晴美の愛の歌で演出したりしています。
 更に欲張って生まれ故郷である沖縄宮古島の人々にも「高橋晴美の世界」を是が非でも見てもらいたいとの思いが日々募るようになりました。
先ずは、高橋晴美先生を宮古島へ招待すべきであるとの考えから、毎日アプローチのメールを送り続けました。
 根負けした高橋晴美先生はとうとう宮古島への招待を承諾して下さいました。
何はともあれ、高橋晴美先生に宮古島を好きになってもらわなければならない。色々と悩みあぐねた末、宮古島のありのままの姿を見てもらうことが大事であることに気付きました。
 勿論、ぬかりがあってはならないので、ホテルはもとよりレンタカーのことも念には念を入れ、予約の再々チェックまでして、後は子供の頃にテルテル坊主に願掛けした時の心境でした。
 いよいよ心躍らせて宮古島空港に無事到着。曇り空を少し気にしながらレンタカー会社に急ぎました。
あろうことか、準備万端のつもりが、運転免許証を家に忘れてきてしまったではないか!レンタカー会社の職員に何とかならないかと懇願したが、実直な職員は全く意を解さない。
その様子を見ていた高橋晴美先生は、私のショックをよそにニコニコ顔で微笑んでいるのです。
 高橋晴美先生曰く「私もドジで良く忘れ物をしたりするんですよ」つまり、「お前もドジな仲間だ」と云わんばかりです。
 その日はやむを得ず友人の青年社長に頼んで宮古島を案内してもらうことにしました。
翌日は、童話作家で新聞社に勤める女性記者に案内してもらうことにしましたら、二人は旧知の友人のように、
はしゃいだりしていましたので正直なところ安心しました。
 宮古島への招待の旅は終わりました。
ところが、私のことを「ドジ」と微笑んでいたはずの高橋晴美先生が、旅の最後に「ドジ」を演じてしまったのです。
実は、帰りの宮古島空港行きのバスの中で、突然“あっ、忘れたぁ”と小声でつぶやいたのです。
高橋晴美先生は、宿泊先の宮古島東急ホテルの部屋に大事な大事な時計を置き忘れてきたとのことです。
 これぞ正真正銘の「ドジ」です。(でも私は笑わない)
しかし、例え「ドジ」であったとしても高橋晴美先生は偉大な音楽家です。
 私は、天使のような高橋晴美先生のファンの一人として、また自称沖縄の応援団長として心から尊敬し、感謝の気持ちを込めて大きな拍手を送り続けたいと思います。

医療法人ノーブルメディカルセンター
健康文化村クリニック
理事長  藤原 浩男

 


                            
                            


アンサンブル晴との再会

 今年の2月に「アンサンブル晴」の合唱指導に沖縄を訪れた際、丁度時を同じくして、酒田市中学生が今帰仁村で「ひとつ」を合唱したという記事が新聞(沖縄タイムス)に掲載されました。そのことがきっかけとなって、真栄城さんが「今帰仁村に晴美先生をお呼びしてアンサンブル晴と☆きらり☆のジョイントコンサートを計画してよいでしょうか?」と、次なるコンサートを思いつかれたのです。真栄城さんの発案は、5月14日にともに「星降る夜に」を歌われた「コーラス庄内」の熱い心をとらえる事となり、すっかり共鳴共感したコーラス庄内は来るべき沖縄コンサートのために6月から積立貯金を始められました。そのようなわけで、今回私は今帰仁村の下見を兼ねて、謝花教育長さんを表敬訪問させていただきました。謝花教育長さんは「ひとつ」をたいそうお気に召してくださっているご様子でした。表敬訪問を済ませた後、今帰仁村城跡にある今帰仁村資料館に行き、その後沖縄最北端の辺戸岬に行きました。沖縄の日差しは目を開けていられないほどですが、海の色は美しいの一言でした。

 今回の沖縄でもうひとつのイベントは、5月14日の杉並公会堂で行われた「高橋晴美 愛と癒しの世界〜コーラスハルミオンと巡り会えた方々と共に〜東日本大震災チャリティーコンサート」にはるばる沖縄から参加してくださった「アンサンブル晴」のメンバーとの再会と、もうひとつのコンサート会場候補である南城市の「シュガーホール」での「南城市シルバー歌声サークル☆きらり☆」との合同練習でした。きらりはシルバーというのでお年寄りのイメージが強かったのですが、お会いした途端、その若さにビックリ!いわゆる沖縄で『おばあ』と呼ばれる魅力的な女声団員は、車を運転してさっそうと訪れるではありませんか!しかも私が、「来るたびに、益々沖縄が好きになってしまいます」というと「こっちに住んだら?」とニコニコしながら言ってくださるのです。丁度NHKのBSプレミアムで、「テンペスト」が放映されていた時ということもあり、『おばあ』のあったかさというものがどういうものかが解ったような気がいたしました。そして、男声の声を聴いてビックリ!「あ〜近くだったらハルミオンにお誘いしたい!」と思うほど、皆さん素晴らしい声で、実に楽しそうに、そして素直に一生懸命にレッスンに耳を傾けてくださるのです。来年、コーラス庄内とコーラスハルミオンと共に沖縄で愛を歌い合えたらどんなに素敵でしょう。「シュガーホール」のすぐ後ろは海で、ホールの外は一面のサトウキビ畑が広がっていました。

 つい先日、コンサート種蒔第一弾として、10月15日に今帰仁村で「窓をあけてみたら」「星降る夜に」「Jewelry Time」「ひとつ」「Cantare〜歌よ大地に響け〜」を歌われるとの連絡が真栄城さんから入りました。丁度16日が「高橋晴美 愛と癒しの世界」コンサートが神奈川で行われるため、今回は沖縄には行くことがかないませんが、是非来年に向けて愛の種蒔をしていただきたいです。

 沖縄最後の夜は料亭那覇で晩餐会を楽しみました。出来上がった写真が送られてきましたが、そのタイトルは「高橋晴美さんといちゃりばちょーでー」と書かれてありました。「いちゃりばちょーでー」=「会えば兄弟」

 沖縄で私が初めて覚えた、一番好きな言葉です。

 

 

 

  9月19日から22日まで、山梨県河口湖スタジオに、河口湖スタジオ最後のレコーディングに行ってまいりました。9月一杯でスタジオクローズの知らせを受け、このスタジオでレコーディングをして来た多くのアーティスト達が嘆き悲しみました。私もその一人でした。河口湖スタジオでのレコーディングは、私の生まれて初めての歌のレコーディング「しあわせのせて」から始まり、「愛のピアノ」、「高橋晴美 愛をうたう」、そしてそのCDの発売記念となった2007年5月19日という自分の誕生日に、コーラスハルミオンの体験レコーディングをさせていただけた事など数え切れない楽しい思い出がいっぱい詰まったスタジオでした。今年6月にリリースした「愛の贈り物」が、実質的に私のアルバム最後のレコーディングとなりました。

 そもそも、このスタジオでは「愛のピアノ」のレコーディングを行うために訪れたのですが、スタジオから見えるあまりに美しい景色に、気が付けば歌っていたのです。最初のレコーディングの際に現地で生まれた曲が「五月の風」ですが、この曲が、後にアルバム「高橋晴美 愛をうたう」のオープニング曲となりました。朝、木漏れ日の中で目が覚め、清浄な空気に包まれる幸せ、そして目覚めた瞬間から作品制作に関わる事の出来る贅沢は、世界旅行以上の最高の喜びでした。そのスタジオがクローズする事は、故郷を無くすような心の痛みを覚えました。私でさえそうなのですから、ここのスタジオの土地を決める時から関わり続けてきた黒田さんにとってはいかばかりなものでしょうか・・・。スタジオにはめ込まれた2重の一枚ガラスからは遠く富士山を拝むことが出来、その姿がスタジオのコントロールルームのガラスに反射し、一面の緑は目を癒し、蝶やタンポポやスミレが限りない優しさで微笑みかけてくれた河口湖スタジオ...。

 もう一度最後にスタジオにお別れに行きたいと黒田さんと話していた矢先の出来事でした。7月に宮城県仙台、岩手県盛岡で2日間の被災地応援コンサートを行った際に、2日目の盛岡のアンコールで「せっかくなのでもう1曲・・・、盛岡に住んでいる杉浦真理さんに魁星君が誕生した時にプレゼントした曲「待ちわびた命」を杉浦真理さんに歌っていただこうと思います。」パチパチと満場の拍手を受け、「待ちわびた命」のイントロを弾き始めたときから、最前列の方が涙を拭い始め、歌い終わったときは拍手喝采でした。盛岡で「待ちわびた命」を最後にお届け出来て本当に良かった!と思いながら帰宅して間もなく、真理ちゃんから電話がかかってきました。この先は杉浦真理さんから届いた原稿でお伝えしたいと思います。


愛に溢れたレコーディング


 「CDを作ろう!」7月に晴美先生ご夫妻をお迎えして行われた宮城、岩手での東北応援コンサートを終えた夜、主人のこの一言からすべては始まりました。コンサートで一緒に歌い終えて、私の自宅に泊まりにきてくれていた遠藤いつ子ちゃんと主人と打ち上げをしていた時に、主人が、「今日、真理ちゃんの歌を聴いて生まれて初めて涙が出た。僕のためにどうしてもCDを作って欲しい!」と言ってくれたのです。


すでに晴美先生の『愛のコンサート』や『ワルシャワ』のCDでも歌わせて頂いていましたし始めは戸惑いました。子供もまだ小さくて手がかかるし・・と迷いましたが、主人がここまで熱心に言ってくれた気持ちが嬉しくて、ドキドキしながら思い切って晴美先生にお電話しました。

晴美先生はとてもとても喜んでくださいました。


 奇しくも、晴美先生が長年レコーディングで行かれていた河口湖スタジオが9月一杯でクローズになってしまう直前に、レコーディングさせて頂けることになったのです。

 晴美先生や黒田さんにとっては沢山の思い出のつまったスタジオで、私にとっても今までずっとお世話になってきた、晴美先生や黒田さん調律師の枝根さん、八木さんや芹澤さん、遠藤いつ子さんと共に歌わせて頂いた、自分の半生の記念にもなるレコーディングとなりました。 おかげさまで夢のように楽しい2日間のレコーディングでした。

 レコーディングを終えてできたデモのCDを聴かせて頂いた時、主人は感動で泣いていました。

 キラキラして温かく包み込むような晴美先生のピアノの音、八木さん、芹澤さんの心を込めた演奏と、仲の良い友人でもある遠藤いつこちゃんの透き通るような美しい歌声・・

 みなさんの全てが一体になり、聴いているほうが温かいベールに包み込まれるような幸せな気持ちになりました。

 

 三泊のレコーディングには私の主人も子守りの為に夏休みを取って、11時間半車を運転して一緒に来てくれました。家族ぐるみの本当に温かくゆったりした時間が流れる中でのレコーディングでした。

 「海よりも空よりも」は主人を想い、「待ちわびた命」は息子を想って、台風吹き荒れる中河口湖までいらして下さった皆さんへの感謝の想いと、主人と息子を想う気持ちが溢れてきて、心を込めて歌わせて頂きました。

 まさか9月にレコーディングをするとは7月まで思ってもみませんでした。 主人の言葉から始まった不思議な仕組みに沢山の幸せをいただきました。一生懸命ご準備くださった晴美先生、黒田さん、本当にありがとうございました!晴美先生も本当に喜んでくださり、私達の喜びも二倍三倍でした!

 録音後の深夜の打ち上げに起き出してきた息子は晴美先生のことを「しぇんしぇ!」(先生)と言うようになり、盛岡の自宅に帰ってからも何度か「しぇんしぇ」と言っていました
一歳半になり最近どんどん言葉が増えて更には「かーしゃん」(お母さん)も言えるようになり私も胸キュンです(^-^)
今回のレコーディングを通して、ますます家族や周りの方を大切にしていきたいという思いが深くなりました
そんな気持ちになれたのも晴美先生と、先生の曲のおかげだと思います本当にありがとうございました。
秋になりだんだん肌寒くなって参りました。岩手山も初冠雪がありました。
晴美先生も夏のお疲れが出ませんように・・
お忙しい日々が続いていらっしゃると思いますが、少しでもごゆっくりお過ごし下さいね
皆様にもどうぞよろしくお伝えください。本当にありがとうございました。

        杉浦真理




愛娘のような杉浦真理さんの、1歳半になる魁星くんが、レコーディング最終日の夜中に私を見て「しぇんしぇ」と呼んでくれた時は、一瞬、息がとまるほどの感動でした。その声のなんと可愛い事・・・。何度も何度も笑顔で「しぇんしぇ」を繰り返されて、私はもうすっかりメロメロでした。

「待ちわびた命」が聴こえた途端に、ぱっと目が輝き、音楽に合わせて一緒に身体を動かしはじめるのです。
そして、音楽が終わると毎回手を叩いてくれるのです。小さな小さな手で、一生懸命に満面の笑顔で・・・。

今も、その光景を思い出しては胸キュンになっています。

スタジオ最後を飾るレコーディングは、本当に愛に満ち溢れたラストレコーディングでした・・・。


数限りない思い出を心のアルバムにひとつずつしまいながら、大好きな河口湖スタジオをあとにしました。
美しい思い出をありがとう・・・。本当に本当にお世話になりました。

2011年10月19日  高橋晴美

 

配信、出版のお知らせ

10月19日より、CD「愛の贈り物」がレコ直などから全国配信されます。着メロなどに是非ご利用くださいませ。

杉浦真理さんのCDは、来年の4月頃リリースの予定です。 楽譜出版の方は、「星降る夜に」が最終段階に入っておりますので、もうしばらくお待ちくださいませ 。




■新しいCDアルバムリリースのご案内
 ☆愛の贈り物☆ 5月19日発売中!

■オンライン上でCDの購入申し込みができます…

 

 



配信のお知らせ

 この度11月24日より、高橋晴美のCD(「ひとつ」 「My Eternal Love」 「Delight Song」 「高橋晴美in ワルシャワ」 「しあわせのせて」 「愛のピアノ」 「高橋晴美 愛をうたう」「愛のコンサート」 の8種類が全国配信されました。 MUSICO、レコチョク、My Sound(ヤマハ)などのサイトからアーティストの名前、または曲名を入れて検索してください。お好みの曲がダウンロード出来ます。QRコードから、携帯にダウンロードも出来ます。是非ご活用ください。



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