皆様お元気でいらっしゃいますか。今年の桜の開花は思いの外早く、あわてて外に飛び出して息づく命を携帯で写しました。桜を眺めるたびに、命ある日にしみじみと感謝してしまいます。卒業式、入学式、人生の節目節目に美しく寄り添うようにエールを送り続けてきてくれた桜…。母校四谷雙葉学園沿いの土手に咲く桜は、今年も変わらず美しい姿を見せてくれました。いつまでもこの美しい桜が咲き続ける世であってほしいと、願わずにはいられません。
桜満開宣言が出された3月23日、オーケストラアンフィニでいつもお世話になっているトロンボーンの森田辰則さんと、パーカッションの黒沢百合さんの結婚式が昭島市の教会で執り行われました。お二人は、岩手で行われた杉浦真理さんのコンサートをはじめ、2011年の5月の杉並公会堂東日本大震災チャリティーコンサート、福島のチャリティーコンサートなど、「高橋晴美の愛と希望の世界」に何度かご出演くださり、いつも笑顔で演奏してくださいました。そのお二人の結婚式に夫婦で参列させていただきました。会場となった『フォレストイン昭和館』は美しい自然の中にチャペルがあり、チャペル正面は木々の緑と青空が見えて、その中で聴くピアノとバイオリンの調べは心が洗われるようでした。パッヘルベルのカノンの演奏が終わり、いよいよ結婚式開始のナレーションと共に静かに流れてきたピアノソロ。あれ?参列しているフルートの後藤さんが私の顔を見てびっくりした表情! 美しく奏でられ始めた曲は、『ひとつ』でした。なんと美しくこの場にはまっていることか…、そして、新郎に続いてウエディングドレスの百合さんが…。熱いものが込み上げて来て、あまりの感動に挙式の後ピアニストさんに声をかけるのも忘れてしまいました。
実は、この日は私にとりましても忘れられない一世一代の清水の舞台だったのです。
結婚式3週間前の3月11日、夫から『お二人で何か演奏していただけないでしょうか?との連絡がありました!「海よりも空よりも」なんかを、晴美先生が歌って僕が伴奏するというのはいかがでしょうか!!』というメールが入ったのです。一瞬たじろいだものの、その後はお二人のお顔が浮かび、自分に出来る最大限の感謝とは何かと自分に問いかけて行った先にあったものは、「心を込めて歌わせていただこう」という答えでした。
最も大切にしている曲でありながら「愛をうたう」のCD収録さえためらったほど本当に難しい曲ですが、自分の人生のテーマソングであり、最愛の弟の結婚式に初演を行った(勿論、私はピアノ伴奏)「海よりも空よりも」を、お二人の幸せを祈って、心を込めて、感謝を込めて歌わせていただこう...と。
夫の伴奏による生まれて初めてのデュオでした。水を打ったように静かな会場、身じろぎもせずに耳を傾けて聴いて下さったあのひと時の空間は何ともあたたかく、結婚35周年目にして初のデュオをさせていただいた私たち夫婦にとりましても忘れられないひと時となりました。今までずっと人様の前で歌う事を避け続けて来た私でしたが、歌い終わった時はやっと神様からのお言いつけを守れた子供のような清々しい気持ちでした。
続いて金管アンサンブル、そして、披露宴最後には何と!新郎の指揮で「Cantare〜歌よ大地に響け〜」の初の男声合唱が披露されました!高砂席でスネアードラムをたたく新婦が可愛くて、思わずシャッターを押してしまいました。本当に音楽を愛しているお仲間が集まった、あたたかな心に残る結婚式でした。
本当にありがとう御座いました!
あまりに直前の演奏のお願いだったのと、ご無理を言ってしまって大変申し訳なく、そして想いを込めて歌ってくださったことに感謝の想いでいっぱいです。参列して下さった他の方々も先生の唄に(感動した)(素晴らしかった)と言っていました!
チャペル式でのはじめの(ひとつ)は此方からオーダーしたものではなく、
偶然弾いて下さった曲でした。偶然で私たちも凄く驚き感動しました。
晴美先生も歌ってくださり、チャペル式から全体通して神様を感じました。 これから新たなスタートになります。
改めまして、至らぬ私たちですがこれからも宜しくお願いいたします!
森田辰則 百合
|
〜どうぞいつまでもお幸せに…。〜
宮古島を舞台にした朝の連続テレビ小説「純と愛」の最後の舞台となったホテルサザンアイランドが、何と!2011年の夏に藤原浩男先生佐渡山さん黒田さんとご一緒させていただいた忘れもしない『お化け屋敷』(藤原先生曰く)だったのです。そんな思い出深い宮古島のコンサートで大変にお世話になった佐渡山政子様からお心のこもったお手紙が届きましたの
でご紹介させていただきます。
晴美先生へ
あれほど慌ただしかった日々から、もう4カ月が過ぎてしまいました。晴美先生のお便りで月日を指折り数えてみています。
心のこもったお手紙やハルミオン通信を何度も何度も読み返しているうちにこんなに時間がかかってしまいました。お便り本当にありがとうございました。おそらく、これまでの公演で一番大変だったのではないでしょうか。もう二度と宮古へなんか、と思っていらっしゃると勝手に想像しておりました。正直、お便りいただいて、ほっとしています。
通信を読みながら、あの日の感動と、あの頃の真栄城さん、比嘉さんのバトルを鮮明に思い起こしています。
本当にこれでできるんだろうかと何度思ったか知れません。でも、お二人が一生懸命頑張って下さったお陰で、宮古の多くの人たちに思いがけない感動を伝える事が出来ました。感謝でいっぱいです。
協力して下さった、社協の皆さん、垣花譲二さん、それに舞台をいっぱいにしてくださったアンサンブルや、各地から参加して下さったコーラスの皆さん、こんなに盛り上がった公演は久々ではないでしょうか。晴美先生を囲んでこれだけの輪ができたと言っても過言ではありません。公演後の懇親会を見てつくづくそう実感しました。本当にありがとうございます、そしてお疲れ様でした。
三年前、藤原さんから晴美先生をご紹介いただき、最初は何が何だか分からずにお話しについて行くのが精いっぱいでした。それが、黒田さんと一緒にいらっしゃって、おばけ屋敷を紹介したり、その後ご主人様の裕先生と一緒にいらっしゃって宮古高校の吹奏楽部のご指導、東平安名崎を眺めながらの昼食など。今思えば涙が出るほど素敵な日々でした。我ながら、ちょっとした歴史を感じております。今では、晴美先生の魅力を言い尽くす事ができません。ハルミオンの皆さんが家族のようなお付き合いになるのもわかるような気がします。
出会いってほんとに不思議です。何十年も合わずじまいだった藤原さんからある日突然お電話をいただかなかったら、こんな感動を味わう事もなかったでしょう。会わせてくれた藤原さんにも感謝です。
晴美先生の歌一つひとつは、私の心の中で小さな幸せの種として芽生え、いつか大きな花を咲かせてくれるでしょう。本当にありがとうございました。
これからもどうぞ、お疲れになった時は宮古島の空気を体感にいらっしゃってください。お待ちしております。
晴美先生のご活躍をお祈りしています。
2013年3月19日
佐渡山政子
|
地方の合唱団からのご報告
|
|
2010年の4月に、晴美先生の曲のみを歌う合唱団として立ち上げ、静岡県の三島を中心に月に1度練習しています。そしてなんと、年に2〜3回、晴美先生がご指導にいらしてくださいます。「虹の音」というネーミングも、晴美先生が考えてくださいました。明るくキラキラしたイメージで、とても気に入っています。
これまで虹の音は、2011年5月に杉並公会堂で行われた“愛のチャリティコンサート”や昨年11月に宮古島で行われた“愛・Eyeコンサート”に参加させていただきました。また、私が地元でさせていただくコンサートでも、『ひとつ』などを一緒に歌い、共に愛を届けてくださいます。
2月に晴美先生がいらしてくださった時は、『母に贈るうた』『海よりも空よりも』をご指導いただきました。全体で細かいニュアンスの表現の仕方などをご指導いただいた後、一人ずつ歌い、一人一人に熱心にアドバイスをくださいました。少人数が故の醍醐味です。皆さん、緊張しながらも一生懸命歌っていました。
3月の練習では、先月晴美先生にご指導いただいた『海よりも空よりも』と『母に贈るうた』をより深めるべく練習しました。また、庄内の長谷部先生の想いに応えられて混声譜が出来、またハルミオンで練習し、タイムリーでもあったので『雪どけに』を虹の音でも練習させていただきました。
『海よりも空よりも』を1度通して歌ってみると、なかなかいい感じで歌えました。そのことを皆さんにお話すると、「先月、晴美先生がご指導してくださったことを、すべてやるつもりで精一杯歌いました」という答えが返ってきました。その熱心さに感激しました。『雪どけに』は、ちょっと難しく音取りで終わってしまいましたが、曲に込められた想いをかみしめながら歌いました。
また、晴美先生のコンサートのお手伝いをさせていただくことを目標にしながら、練習に励んでいきたいと思います。
遠藤いつ子 記
|
今私は、CD制作と新しい楽譜の制作、そして4月に川越で行われるコンサートの準備に追われる毎日です。
昨日もハルミオンでお世話になっている小野瀬先生と、大好きな音楽に関わりながら毎日を過ごせる幸せをしみじみ語り合いました。何が起こるかわからない時代に生きておりますが、ほんの少しでも希望の光を音に乗せてお届出来るよう日々精進努力してまいりたいと思います。
高橋晴美
|