高橋晴美の音楽ネットワーク ニュース レター  



 木の芽立ちつぼみふくらむ春の陽が微笑みかける季節となりました!
皆様お元気でいらっしゃ いますか。

 こちらは、2月は1月に引き続き事務所の耐震工事リフォームのための引っ越しに明け暮れておりました。

 空っぽの家に引っ越しをするなら兎も角、既にびっしりと詰まっている部屋に引っ越しをするということは、物を捨て、整理し、掃除して初めて移動が可能と な る訳ですから本当に大変でした。しかしながら、このような機会がなかったら気付かなかっただろうと思われるいくつもの大切な事を見つめる機会となり、今あ らためて思い切って踏み出して良かったとしみじみ思っております。そして、なんと素敵なお仲間に支えられて生かされているか、あらためて感じさせられた2 か月間となりました。
 


 今、ようやく落ち着き、仮の住まいとはいえ、亡き父やご先祖様の温かな愛に包まれた新
たな生活がスター トいたしました。その間、工事のために突然回線が 切れて電話が不通になったり、インターネットが不通になったり、CD楽譜の発送が遅れたりと、皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしましたこと、心よりお 詫び申し上げます。

 さて、いよいよ3月、沖縄宜野湾コンサートも目前となりました。宜野湾では、地元のコンサートということで地元の西原小学校、普天間高校、伝統の王府お もろ、テレビでも紹介された指笛王国、三線などなど、今回は沖縄色豊かに市を挙げての大イベントとなりそうです。グランドフィナーレ後の「夢咲き島」で は、沖縄を想って書き上げたあの歌を小学生と一緒に歌わせていただくこととなり、想像しただけで胸がいっぱいになります。


「とけてひとつ」と題した今回の 沖縄でのコンサートは、2009年のてだこホールから始まった沖縄コンサートの集大成と言えるコンサートです。大好きな沖縄で、今まで出会わせていただい た素敵なお仲間と心ひとつに歌い合えるひと時を楽しみに参りたいと思います。

李さんとの再会

 つい先日、1995年の阪神大震災チャリティーコンサートの初演で「ひとつ」を歌って下さった李京順さんと、10余年振りに感動の再会をしました。彼女 は、「海よりも空よりも」を最初に歌って下さった人でもあり、彼女がシリーズ化しているコンサート「風たおやかに」コンサートで、初めて私の作品をまとめて 取り上げて歌ってくださった大好きな歌手であり友人でもあります。菜の花や雪の下やスイトピー等など、

春の花を抱え満面の微笑みを湛えて訪れて下さいました。ドラマーの八木さんも加わって、積もる話に花咲かせながらあっという間に時間が経ち、3月の音合わ せの日時を決めて別れました。数日後、2011年5月に杉並公会堂で行なわれた「愛のチャリティーコンサート」のDVDを見た彼女からのメッセージが届き ましたのでご紹介させていただきます。


再会うれしや!!

再会うれしや!!
音で
生きる事、守る事、信じる事、唄う事、そして愛する事が一直線上にあると信じ歌った’91、’94年の“
風たおやかに”のコンサートから23年が経ちまし た。

まさに今回、晴美ちゃんのDVDを見せて頂き、晴美ちゃんの音楽の来し方は、信じ切り、やり遂げているという感であった。
時を同じくして真央ちゃんのフ リー演技さながらと感じ入った次第である。
人が表れている。

 その人が創った歌を、歌いたい人が集いハーモニーし奏でて伝えるという力が発揮されていると見てとれ、深く共感した。
音楽を通し、何を伝えたいの か・・・。

 全て平等に愛を平和をと願い、その為には一人一人の自己改革を!との訴えを感じた。そしてその使命を。人が生まれ、
死に行く中に、音楽の位置は如何に… との問いかけも感じた。命の尊さ、そして自分という事を考えさせられた。

 「海よりも空よりも」〜「ひとつ」とプログラムは続き、そしてラストにいきなり彼女が歌い出した驚き!最後の最後に彼女は
自らSoloを歌い切って感動 させてくれた。2011年の東日本大震災に際し、「これからどんなに大変であろうと皆が幸せに
なろう!!」と270名の大合唱の後に孤独に唄う小さな細い 彼女の何と大きなことか!彼女の天性の、愛すべき間違いの
ない音楽性と人間性が周囲を奮い立たせ、こうしてできたステージだったのだろう。

私自身、歌い手として創り手として「痛みを分ける事が出来ずとも思いを馳せる事は出来るはず」のごとく共に歌い続けたい。時は五輪で沸き、その間にウクラ イナ、タイ、そして中東シリア問題続発。

 今、まなこ開き、進化した音で使命果たしたい気持ちでいっぱいです! 何十年振りかの音合わせ…楽しみです!!

李 京順   


義父の果てなき夢
                
 かつてピアニストで京都教育大学の名誉教授、志賀女子短大の校長を務めた
京都に住む義理の父が、脳梗塞で倒れたのは91歳の時。危ないから会いに来た方 が
良いと夫に言われて覚悟を決めて義父に会いにゆき、
枕元で「愛してる愛してる愛してる!お父さん!晴ちゃんですよ!」と叫ぶと、
眠っていた義父が突然眼 を開け、動く方の左手を必死で
差しのべて「晴ちゃん!」と答えてくれてから6年の歳月が流れた。
今日、3か月振りに京都の義父に会いに行くと、「晴ちゃん の前では恥ずかしい」と言いながら、
全く動かなかった右手で弾き始めた曲は、何と!ベートーベンの第9「歓喜の歌」だった…。

 90歳を過ぎて、愛してやまないピアノが弾きたくて日夜努力を重ねて来た義父。義父の話す言葉はいつも前向きで、
その話の中にはいつも夢があり果てなき 希望がある。97歳になっても尚私たちを導いてくれる義父に、ただただ頭が
下がる。なんて、素敵な生き方を見せてくれるのだろうか…。
                                         



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