ボラカイ島で2005年の幕開け  高橋晴美手記

パラセーリングで南の空に飛ぶ晴美さん(右側)


皆様 春が待ち遠しいような今日この頃ですが、お元気でいらっしゃいますか。
今年は1995年の初めてのオリジナルコンサート(阪神大震災のためのチャリティーコンサート)から丁度10年目に当たり、作品で言えば、「ひとつ」「母に贈るうた」「二人を乗せて」が生まれて丁度10歳の誕生日を迎える事になります。

そのような訳で今年に入り、コンサートの事でいろいろと話し合いをしてまいりました。秋には10周年のイベントを計画しておりますが、その前に6月に私にとりまして初めての挑戦ともなるビッグバンドのコンサートに出演させていただく事となりました。音楽には国境はありません。ジャンルを越えて、いい音楽はすべて取り入れて愛してゆくというのがもともとの私の音楽観です。ここのところクラッシックのオーケスト ラ編成でのコンサートが続きましたが、今までとはちょっと角度を変えて、私の作品に時折顔を出す「スパイス」でもあるジャズの香りに浸ってみたいと思います。選曲も、インストゥルメンタルの曲中心にお届けしようかと思っております。もうひとつの私の一面を聴いていただければ嬉しく存じます。

さて、私は昨年末からお正月にかけて、夏にレコーディングをした油井賢一郎さんのお仕事で、フィリピンのボラカイ島に行ってまいりました。 砂浜の上に設営されたステージで、パリにも一緒に行ったバンドの仲間と共にスタンダードを中心に演奏してまいりましたが、波の音を聴きながら演奏した「少年」は最高でした。「〜あの日海辺に落としたなくしものさがそう〜」歌詞がこんなにマッチしたシチュエーションはおそらくないのではないかと思うほどぴったりでした。


左からべ−ス小野さん、油井さん、晴美さん、ドラムス八木さん

 

中でも忘れられない思い出となったのは、ステージ中の停電でした。お客様を前にして、いきなりすべての電気回線がストップし、もちろんキーボードもベースもギターもボーカルマイクもすべてが一瞬にして無音になってしまったのです。それはまたしても、あの「スターダスト」(油井さんのレコーディングの時に笑いの種となった)の演奏中でした。
その日はレコーディングの時とは違って、いきなりサンバのリズムで始まらずにスローのオーソドックスな形で1コーラス演奏した後、2コーラス目でサンバに入る予定でした。1コーラスが終わり、さあ待ってましたサンバ!と、その途端、一瞬にして無音の暗闇の世界になってしまったのです。しかし流石ドラマーの八木ちゃん!唯一電気を通さずに演奏していた彼は、すぐにサンバのリズムを叩き出したのです。しかし、それもつかの間「バスドラが!」と叫ぶ八木ちゃん。見ると、バスドラのペダルがはずれてしまっているではないですか!私はすぐさま椅子から立ち上がって、ドラムの所に行きました。

初公開!晴美さんのダンス


すると八木ちゃんは私にスティックを差し出し「何でもいいから叩いてて!」と言うではありませんか。「ひぇー!」と思いながらも何とかしなくてはという思いで、気が付くと両手でスティックを握りフロアータムを叩いていました。その間に八木ちゃんは外れたバスドラのキックを直し、ジャンボさんはカウベルを鳴らし始めました。しかし叩き出すとなかなか面白い!土着的なアクセントをつけたりしていると、だんだん高揚してきて時々シンバルを入れだし、いつの間にか全員でパーカッションアンサンブルをやっていたのです。その状態が15分ぐらい続き、ちらほらと明かりが点きだしました。定位置に戻ってもまだボーカルマイクだけが?がりません。そこでスターダストをキーボードで弾き始め再び演奏開始。そのうちマイクが?がり無事歌い終わるという、何とも長いこの日のスターダストでした。真っ暗な海岸で満点の星くずに見守られながらみんなで演奏した一生に一度のスターダストの演奏は、私にとってボラカイ島での忘れられない思い出になりました。

  生れて初めてのゴルフ


私にとって、初めてのリゾート地という事もあって、見るものすべてが感動でした。海で泳いだのはそれこそ高校以来の事、ゴルフ、ジェットスキー、パラセーリング、何もかも生まれて初めての体験ばかりでした。美しいコバルトブルーの海と果てしなく広がる空、白い砂浜と風に揺れる椰子の葉、時の流れに身をゆだねて、ただ波の音を聴いているだけで感謝の想いが溢れてくるのです。

新しい年を元気に大好きな仲間と共に音楽の中で迎えられた事を本当に幸せに思いました。このようなスタートを切った今年にふさわしく、わくわく楽しく音楽を紡いでゆきたいと思っております。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。



   高橋晴美

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