又、9月2日に鶴見文化センターサルビアホールで行われた、イーエムピアノネットワーク40周年記念「東日本大震災で親を亡くした1500人の子供達支援チャリティーコンサート」では、第2部「高橋晴美の愛と希望の世界」で全12曲をお届けいたしました。1曲目に、このコンサートの主催者である枝根誉志さんがかつて入院されていた時に、病院で毎日聴いて下さっていたという
「Berceurse for P〜父に贈る子守唄〜」からスタートし、濱松由美子さんの「少年」女声コーラスハルミング「Into
the Light~光への旅立ち」永井陽菜さんと遠藤いつ子さんで「海よりも空よりも」コーラスハルミオンで「窓をあけてみたら」「母に贈るうた」そして、カントハルモニアも加わり「ありがとう」「八幡小学校校歌〜今、思い出を輝きに変えて〜」「ひとつ」「Pray
for the Earth〜願い〜」をお届けいたしました。アンコールの「ひとつ」では、客席のお客様も大きな声で歌ってくださり、続くアンコール「Cantare〜歌よ大地に響け〜」では手拍子がおこり、鳴り止まぬ温かい拍手の内に終演となりました。お暑い中お越し下さいましたお客様に、心より厚く御礼申し上げます。収益金90万円は、9月21,22,23日に枝根さんが被災地に赴いて、直接渡されるという事です。
お手紙のご紹介
夫婦で初めての晴美先生のコンサート、愛情が一杯に包まれた優しくて穏やかな何とも言えない空間と時間を一緒に味わえた事に感謝しています。
一曲一曲想いの中が“愛と希望と勇気”で満タンになり大粒の涙となって溢れました。 魂に響き、辛かったこと苦しかったことの痛みが消え、想いの奥からパワーが湧き上がり、言葉にいい表わせない幸せな気持ちで満たされ感動でした。
会場全体が本当に「ひとつ」になり、強い絆を感じました。音楽と人と人との繋がりは素晴らしいです。
この愛の波動が東日本大震災で親を亡くした子供たちにも届き、たくさんの方が救われる事と確信しました。
1人でも多くの方にこの“愛と癒しの世界”を感じてほしいです。 扉を開いて下さり、ありがとうございました。
陶山 房枝
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さて、いよいよ11月17日沖縄県宮古島マティダ市民劇場でのコンサートに向けてスタートです。
9月14日から19日まで、11月のコンサート準備のため沖縄宮古島まで行ってまいりました。20年に1度という大型台風が近づく中、前日に沖縄の知人島袋先生に電話をすると「凄い台風が近づいていますよ。豚が飛び、牛が木に引っかかり、電柱が4本倒れた過去の台風を上回る勢力ですよ。」との事。「え〜〜~!!豚が飛ぶ!!」と思わず電話口で叫んでしまいました。その後真栄城さんと夜中まで話し合いが続きました。「おそらくこのまま行くと16日には宮古島に飛行機が飛ばないと思います。吹奏楽の指導が今回の一番大きな目的ですよね、先生どうしましょう…10月に先送りにした方が良いでしょうかね…。」しかし、迷いながらも二人の想いはひとつでした。「先生、やっぱりいらしてください」「行きますよ!沖縄の台風を現地で味わえる機会なんて、なかなかないでしょうから!」後は運を天に任せてという思いで、夫と二人わくわくしながらの出発となりました。
14日の17:30に那覇に到着。台風の前の静けさ。ホテルに到着すると既に藤原浩男先生(コンサート実行委員顧問)が迎えに来て下さっていました。会食後、実行委員の真栄城さん比嘉さんと再会!既に真栄城さんは16日朝9:00発ANA宮古島行きの便を、最終便に変更をして下さっていました。
翌日15日は朝から風雨、15日夜中に台風が沖縄に最接近するというニュースに、急遽2:00からの弦楽四重奏の合わせを12:00からに前倒しして練習が行われました。「てるてるホール」というホールは練習室から外が見える綺麗な練習場で、壁の上に丸く空いたレインボーカラーのステンドグラスが印象的でした。だんだんと激しくなってくる風雨の中、カルテットの皆さんと心を通わせながら密度の濃い練習が行われました。窓の外を小さなカタツムリが横断してゆく姿を見ながら、外は台風だというのに、穏やかな何とも幸福な時間が流れてゆきました。
夜台風が最接近するため、交流会を取りやめにしようかどうか話し合いがなされましたが、時間を1時間前倒しにして17:00から宜野湾の「あしびじま」で予定通り交流会が行われる事になりました。「この台風の中でも皆さん集まって下さるのだろうか…」と思いながらお店に入りましたが、5月14日のコンサートでも三線を弾いて下さった金城さんご夫妻、宮城実行委員長ご夫妻を始め実行委員の方々がいらっしゃいました。そして驚いた事に、忙しくて参加できないはずの宜野湾の佐喜眞淳市長、普天満神宮の新垣義夫宮司も、イベントがキャンセルになったからとの事で交流会にいらして下さったのです。藤原先生もいらしてくださり、来年(再来年)に予定している宜野湾コンサートの話し合いまでなされました。
最後は宮古島指笛王国の国王が、宮古の伝統的「くいちゃー」を披露してくださいました。と同時に金城さんが三線を弾き始め、比嘉さんが太鼓をたたき始めるとお隣のお客様達まで一緒に踊りだして盛り上がり、まさに沖縄ならではの熱い台風一夜になりました!「これこそが台風の中の沖縄人!〜やっぱり来て良かった!…」心の中を温かなものが満たしてゆきました。ホテルに戻ってテレビを付けると、〜16日JAL全便欠航、ANA午後17時までの便欠航〜とテロップが流れます。果たして明日は宮古島に行けるのだろうか…祈るような思いで宮古島1泊の旅じたくをしました。
16日、11時に真栄城さんの迎えが来て車に乗り込みました。最終便まで時間が出来たため、この嵐の中、どうやって時間を過ごそうか…先日豚が飛ぶ話をして下さった島袋先生にまずお電話をしてみました。
13日の時点では、16日はいらっしゃらないと伺っていたので、ダメもとでお電話をしてみたところ、台風でキャンセルになったためにいらっしゃらないはずの島袋先生がいらして私達を温かく向かい入れて下さったのです!色々なお話をしているうちに先生と一緒にいらした方が宮古島出身の方で、妹さん(砂川さん)が宮古島に住んでいらっしゃるとの事。すぐに妹さんに連絡を入れて下さり、なんと翌日お目にかかれる事になったのです!連絡先を手にして那覇空港に向かいました。結局宮古島に飛んだ飛行機は、たった1便の私達を乗せた最終便だけでした。
17日は朝9:00から宮古高校音楽室で、吹奏楽の練習が始まりました。1曲1曲作品が誕生した時のエピソードを挟みながら練習を進めてゆきました。生徒さん達はこちらの要求に「はい」と素直に答え一生懸命に吹いて下さいます。吹奏楽団の指導者下地秀樹先生も大変協力的で、次の合わせは本番前日16日の夕方から池田誠晴校長の指揮で行われますが、どうなってゆくのか今からとても楽しみです。
この様子を、宮古毎日新聞の佐渡山さんが取材して下さいました。 練習後、晴れ渡る空の下、宮古島の青い海が広がる180度展望レストランで食事をし、その後トライアスロン発祥の地である東急リゾートの海岸に寄り、ほんの束の間貝殻を拾って空港へと向かいました。そして空港でご紹介いただいた砂川さんとお会いして一緒に宮古そばをいただきました。チラシをお渡ししてお話をしているうちに砂川さんは真栄城さんと私の大好物の「雪塩ソフト」の会社にお勤めの方と解かり又びっくり!実は、空港までの道すがら、ずっと二人で「雪塩ソフト」の話をしていたのです!砂川さんは、「ちょっと待っていてください!」と雪塩の売店に行かれ、保安検査場に入る直前、新製品の雪塩せんべいをお土産に私達に手渡して下さいました。短い滞在でしたが何とも実りある宮古島の一日でした。
那覇に着くと、そのまま夫は羽田へ。私は翌日の合唱指導のため那覇に残りました。
18日は、1:30〜4:30まで、南城市のシュガーホールで「沖縄いちゃりば合唱団」(「アンサンブル晴」「コール結」「コール西原」「混声合唱団きらり」)の合同練習が行われました。「八幡小学校校歌〜今、思い出を輝きに変えて〜」の初めての指導でしたが、皆さん一生懸命について来て下さるのでどんどん表情が変わって行きます。アンサンブル晴の歌う「窓をあけてみたら」を聴くのは初めてでしたが、皆さん実に楽しそうに乗りに乗って歌って下さいました。そして、全体合唱の「ひとつ」「Cantare~歌よ大地に響け~」「Pray
for the Earth~願い~」の練習をして無事終了。練習後は、宮城実行委員長の案内で宜野湾の羽衣伝説の地に立ち寄りました。羽衣伝説は色々ありますが天女の羽衣を隠し、天女を妻に迎え、子供まで授かったという沖縄の羽衣伝説は、如何にも情の濃い沖縄らしい伝説に思いました。その後、琉球王府神歌(おもろ)継承15代目の安仁屋眞昭との会食会があり、「おもろさうし」を拝聴する事まで出来たのです。
『「おもろさうし」は、琉球王朝で編纂された古歌謡集である。内容は、開闢神話から琉球王朝の祭政一致時代の祝詞をはじめ、天体讃歌、英雄讃美、歴史的事象、航海安全の祈り等を含む叙事詩である。殆どの「おもろ」に節名が付いていて、かつてはメロディーを持って謡われていた。大和の万葉集も歌われていた歌もあったといわれているが、編纂の時にはメロディーの記載はなく(曲の記録方法が確立していなかったのであろう)歌詞だけの記録集になった。』
日本各地を回って講演されている大変お忙しい方が、目の前で「おもろさうし」を披露して下さったのには感動でした。実行委員の宮城さんの同級生という事で、特別な計らいによるものでした。
会食後は、那覇で実行委員の真栄城さんと比嘉さんと有川さんと最後の打ち上げをしてホテルに戻りました。
あっという間の6日間でしたが、なんとドラマティックで濃厚な6日間だったでしょうか…。 今回も又更に、沖縄の魅力を知る事が出来ました。そして、まだまだ知らない事だらけの沖縄をもっともっと知りたくなった旅でもありました。行く度に新たな発見があり、新たな感動がある沖縄…、そこに住む方々との絆が益々太く強くなって行く事にこの上ない喜びを感じます。距離は遠くとも、沖縄がだんだん近くなって行っているように思えて嬉しくてなりません。
11月17日までもう2カ月を切りました。いよいよ、庄内と福島と関東と沖縄がひとつに向かって歩きだします。ご縁のある方々と共に心ひとつになって宮古島で愛を歌い、被災地の方々の幸せと生きとし生けるものの幸せを祈らせていただきたいと思います。
高橋晴美
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東日本大震災被災地応援チャリティ・
宮古島市社会福祉協議会活動資金造成 2012.9.29
宮古島・愛・Eye コンサート
Vol.3
〜高橋晴美の世界と共に〜
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