2015年12月8日、『高橋晴美の音楽ネットワーク後援会』会長であり『コーラスハルミオン』事務局長の黒田勝也さんが、膵臓癌から併発した肺炎のため72歳の生涯を閉じられました。
黒田さんは、22歳で東芝音楽工業(東芝EMI)に入社、通常は調整卓の前に座るのに3年かかるところ、異例の速さでミキサーを任され、その年の黛ジュ
ンの「天使の誘惑」でレコード大賞を受賞。一時は50タレントを同時に手掛け、オリコンチャートの1位から3位を占める快挙を遂げました。キャニオンレ
コード(ポニーキャニオン)創設入社し、取締役を経て、一口坂スタジオの取締役になるという業界のミキサーとして歴史に残る一時代を築き上げました。この
間、私が知っているだけでも、黛ジュン(天使の誘惑、夕月etc.)、トワ・エ・モア(ある日突然、空よetc.)、世良正則(あんたのバラード)、
フォーク・クルセイダーズ(帰って来たヨッパライ)、あみん(待つわ)クリスタルキング(大都会)因幡晃(わかってください)アリス(チャンピョン)中島
みゆき、光GENJI、チェッカーズ、加山雄三、藤井フミヤ、チャゲ&飛鳥、Cha、山崎ハコ、谷山浩子、原田信二等々、数多くのアーティストのレコー
ディングを手掛け、日本ゴールドディスク大賞に輝いたことも何度かありました。
黒田さんと私の出会いは約15年前に遡ります。2000年にポーランドでワルシャワ国立管弦楽団とレコーディングをした時のDATのトラックダウンのやり直しがきっかけとなり、元財団ヤマハのディレクター本郷敏夫さんから紹介を受けたのが始まりでした。
やり直しとは言え2チャンネルで録音したホールでの歌とオーケストラ録音ですから、通常直しようのないものなのです。しかしどうしても音が気に入らなく
て悩んでいた私は、その事を本郷さんに相談したところ、即、「それは、黒田のお父さんしかいないね」の一言が返って来たのです。可能性があるのなら最善を
尽くしたいと思った私は、藁をもすがる気持ちで直ぐにお願いしました。当時一口坂スタジオの役員をなさっていたお父さんこと巨匠黒田勝也さんに、その時初
めてお会いする事となったのです。それ以前より本郷さんからいつも「是非、晴美さんに紹介したい人がいる」と聞かされ、黒田さんにも「今度紹介したい人が
いる」と話して下さっていたようでしたが、まさか初めてのお仕事がツーミックスのDATの直しとは、黒田さんも大変驚かれたようでした。
「ツーミックスなので、正直、どこまで出来るか解かりませんが、やってみましょう」というお返事で引き受けてくださったのですが、夫と私は、この時スタ
ジオで不可能を可能にしてゆく黒田マジックを初めて目の当たりにする事となりました。お陰様で2001年5月に「高橋晴美 イン ワルシャワ」を無事リ
リースする事が出来ました。この事がきっかけとなり、まずお願いしたのが既にCDとなって販売されていた「Delight
Song」のトラックダウンのやり直しでした。販売したCDを全部回収し、新しいものに差し替えました。平坦な一枚の絵が、奥行きのある3Dの世界に変わ
り、1小節聴いただけでその違いは歴然でした。更に「Into the
Light〜光への旅立ち〜」は、思わず「カッコイイ〜〜!」と声を上げてしまうほどの動的立体感のある音づくりに変わっていました。ドラムがはるか遠く
から鳴りだし、ギターも遠くからやってきてだんだん近づいて来るという臨場感は、まるで映像を見ているようでした。
そしていよいよ録音からお願いする日がやってきました。2002年5月、スタジオ前に広がる一面の緑、その向こうに見える富士山と青空、すみれが咲き、
蝶が舞い遊ぶ河口湖スタジオで「しあわせのせて」のレコーディングが行なわれました。当初大風邪をひいて1ヶ月間歌を歌っていなかった私はピアノのレコー
ディングに切り替えるつもりで行ったのですが、スタジオの一枚ガラスから目の前に広がる景色を見た途端、たまらなく歌いたくなって歌ってしまいました。歌
わされてしまったという方が正解かもしれません。それまでのレコーディングの印象を全く塗り変えてしまった河口湖スタジオでのレコーディングでした。
その時の事を私は「世界旅行以上の幸福感」という表現で皆さんに話しております。その感動はあまりにも大きくて、自分だけではなく皆にも分けてあげたい
という思いから、後に『体験レコーディング』と称して、コーラスハルミオンの団員全員で1泊の河口湖スタジオ体験レコーディングを実現する事となりました
(2007年5月19日)。この日は私の誕生日でもあり、自らが歌ったCDアルバム「愛をうたう」と「愛のピアノSE入り」が同時リリースの日という事も
あり、黒田さんは一口坂スタジオからスタッフを呼んでくださり、バーベキューパーティーを企画して下さいました。
その夜、団員と一緒にスタジオ宿舎から見た天の川の何と美しかった事!息をのむようなあの美しい光景を私は生涯忘れないでしょう。
2002年の5月に続き、その年の秋には、河口湖スタジオでピアノソロCD「愛のピアノ」のレコーディングを行いました。
あの時は、指が変形し始めた時で、湿布をして痛みに耐えながら練習をし、録る直前に湿布を取って弾く事を繰り返しました。その時に黒田さんが湿布薬を小さ
く切って指にテーピングをしてくれている写真が今も残っています。ご本人いわく「偽医者」。いつも黒田さんの周りには笑いが溢れていました。お陰様で「愛
のピアノ」はANAスカイチャンネルに2年続けて採用される事となり(2006年4月、2007年4月)、この事がきっかけで黒田さんの発案により
2007年5月には「愛のピアノSE入り」(自然効果音入り)が生まれる事となったのです。
そして、2004年5月、東京池袋芸術劇場大ホールで行われたオーケストラと歌の夕べ「高橋晴美 愛のコンサート」に、初めて黒田さんをご招待させてい
ただきました。そのコンサート後、本郷さんと黒田さんに宴会に呼び出されたのですが、その席で黒田さんに言われた言葉が「なんでこういう時に俺を使わない
のか!」。ありがたいこのお言葉が、それ以後の私のコンサート活動を変える事となったのです。
その年の12月にフォーシーズンズホテル椿山荘で行われたクリスマスディナーショーを皮切りに、翌年2005年の第一生命ホール(晴海トリトンスクエ
アー)で二日間行われた「高橋晴美が贈る ジャズイン晴海」以降、高橋晴美のコンサートは全て黒田さんが音響を担当して下さる事になったのです。聴いてく
ださる方に良い音をお届したいという黒田さんと私の強い想いは、CDやDVDだけでなく、様々なコンサートに於いても沢山の方々に届いてゆきました。
又、黒田さんの協力は音響だけにとどまらず、コーラスハルミオンの事務局長や、高橋晴美の音楽ネットワーク後援会長も務めてくださり、高橋晴美の音楽活
動を支えてくださいました。コーラスハルミオンのつま恋合宿はじめ、地方コンサートの数々の思い出は、団員達の心の中にいつまでもきらめく思い出として
残っています。又、「愛のピアノ」SE入りの作成だけでなく、「愛のコンサート」「愛のチャリティーコンサート」DVD作成は、どれだけのエネルギーを注
いでくださったか量り知れません。
しかし黒田さんは決して見返りを求めず、何をするのも楽しみながら、誰かが感動して下さる事を喜びとし、「少しは黒も役に立てたかな」と嬉しそうに微笑んでいらっしゃいました。
『愛と希望をお届けしたい!』という私の気持ちに、いつも惜しみない協力をし続けて下さいました。
昨年、高橋晴美デビュー20周年を記念したイベント「高橋晴美『ひとつ』誕生20周年記念クルージングディナーショー〜海の上でひとつを歌う〜」は、黒
田さん初のプロデュースを買って出てくださり、石井智子さんとのジョイントの夢を叶えてくださいました。そして、8月がコンソールの前に座る黒田さんの最
後の姿となり、10月の庄内コンサートが私のコンサート音響を担当して下さる最後となりました。
黒田さんはいつも「俺は死ぬまで現役でいたい」と仰ってましたが、まさに『成すべき事を成して逍遥としてあの世に旅立つ』生き方を見せてくださったよう
な気がいたします。沢山の人に惜しみなく愛を注ぐことを喜びとし、ご自分の命を、人、世のために輝かせて生き切った方でした。
通夜の席に並ぶ、中島みゆき、因幡晃、チャー、藤井フミヤ、都倉俊一、クリスタルキング、谷山浩子、山崎ハコ等など著名な方々から届いた沢山のお花に囲
まれて微笑む黒田さんの遺影からは、業界の一時代を築き上げた方であるにも拘らず、偉そうな事は一言も仰らずいつも謙虚で腰の低いお人柄がうかがわれ、弔
問に訪れる方々の涙を誘いました。
片手を失うどころか両手両足を失い、未だかつて味わったことのない悲しみを味わいましたが、黒田さんからいただいた抱えきれないほどの大きなプレゼントを胸に、これからは黒田さんと一緒にこの道を歩み続けて行きたいと思います。
5月に2日間予定していたコンサートですが、5月4日はリハーサル5月5日を本番とし『ありがとうコンサート』と題して、出演者一同が心ひとつにして愛と感謝のコンサートをさせていただきたいと存じます。
12月3日の夜、黒田さんに約束をしました。「5月5日は黒田さんのためにコンサートをするので、応援して下さいね…」と。声なき声で「ありがとう…」
と言って下さいました。いつも、ほがらかに笑っていらした黒田さんに届くように、愛と感謝と希望を歌に乗せて、明るく温かいコンサートにしたいと思ってお
ります。ミュージシャン始め、コーラスハルミオン団員一同、又、黒田勝也さんを慕ってやまない方々と共に心を込めて準備してまいります。ご予定を入れてい
ただけましたら幸いに存じます。
2016年が明けました。今、思い出を輝きに変えて、新しく力強く歩み始めます。どうかこれからもよろしくお願いいたします。
今年が、愛と希望に満ちた素晴らしい年でありますよう、お祈り申し上げます。
2016年 元旦
高橋晴美
●Harumi's World News
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